戦争を知る方の教訓に耳を傾けましょう
昨日、満州国新京関東軍司令部に勤務されておられた方の貴重なお話を聴かせて頂く機会を得ました。
今日は、幼い子を持つ方々に読んでいただければと思います。
中国残留日本人について、耳にしたことがあると思いますが、なぜその人たちは、戦争後も日本に帰ることが出来なかったのでしょうか?
満州という国が、かつてありました。日本の傀儡国家でありますが、満蒙開拓移民(まんもうかいたくいみん)として、日本本土から多くの日本人が、世界恐慌から引き起こされた昭和恐慌による窮乏生活から脱出する為に、移民として渡ったのです。
1945年に、日本本土における決戦がいよいよ現実味を帯びてくると、満州を守っていた関東軍は、満蒙開拓移民が開拓していた地域の守備をあきらめ、開拓団の男性らにその後を任せてしまいます。
ここからが悲劇のはじまりで、8月9日にソ連軍が戦車部隊を先頭に100万人規模の侵攻を開始します。
武器装備のない民間人に満州開拓地の守りを任せてしまったのですから、その守りはあっという間に破られます。
みな、なんとか逃げる努力をしますが、鉄道に何千人もの戦争難民が押し寄せた為に、ある母親は列車の中のひとに幼い子を渡し、自分もなんとか乗車しようとしますが、運転士は中国人で、日本人の制止も伝わらず無情にも発車してしまいます。子どもだけを乗せて列車は発車してしまい、親と子は離れ離れになります。
「その子の下着や服、毛布など何でもいいから、小さく名前と住所を書いていてくれたなら、きっと再会できたと思う。 なんとか言葉を発する子でも自分のことを『あーちゃん』としか言わないから、『あきこ』なのか『あつこ』なのかもわからないし、苗字もわからない。そうして、親と離れ離れになってしまった幼児たちは、親に会うこともなく死んでいったり、中国人に育てられることになった。」
1929年の世界恐慌から歯車が狂いだし、あれよあれよという間に、世界は戦争へと転がり落ちていきます。
米国カリフォルニア州が財政危機で非常事態を宣言しましたが、FRBも同様の様相です。 21世紀の世界恐慌は、まもなく始まるのかも知れません。
歴史は繰り返します。同じことが起こらないとも限りません。
満州国新京関東軍司令部に勤務されていた方の話から教訓を得ました。
出来ることから、始めましょう。
宮尾 孝三郎


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