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2009年6月23日 (火)

姉妹都市2

ここのところ、市議会議員の仕事としては「国際交流について」テーマを絞っておりますが、本日は、本市の姉妹友好都市提携の背景をさらっと復習します。

5月7日の本ブログで姉妹都市を書きましたが、その5カ国についてであります。

【以下、掲載開始】------------------------------------

日本万国博覧会を翌年に控えた1969(昭和44)年10月1日、第71回大津市制記念式典の席上で西田善一市長は、アメリカ合衆国ミシガン州ランシング市との姉妹都市協定書に署名

同時に、国際電話によりランシング市の自宅で受話器をにぎるグレーブス市長と、両市の末永い友好を誓いあった。

前年、滋賀県とミシガン州が姉妹盟約を調印したことにより、互いの県(州)都の間で気運が高まったもので、大津市における最初の姉妹都市誕生の瞬間であった。

また、大津市初の大きな国際大会としては、1975(昭和50)年11月、県立体育館を中心に「第一回アジア卓球技術交流大会」が開催されている。

開催都市受諾の理由を、当時の山田耕三郎市長は、「これからは世界に目を向け世界の人々と友好理解を深め、平和をもたらすようにしなければならない。この大会が世界の人々との友好親善を深め、市民性を高める契機になればと考える」と述べている。

同年11月6日から「卓球が結ぶアジアのこころ」をスローガンに、20カ国から46人を迎え、6日間にわたって国際色いっぱいに繰り広げられた大会は、大成功のうちに幕を閉じた。

翌51年、スイスの中部ユングフラウヨッホの山麓のまちインターラーケン市で茶会が開かれた。

これに参加した大津・インターラーケン両市の人々の交流による市民外交が実を結び、市制80周年を迎えた1978(昭和53)年10月1日、インターラーケン市友好親善使節団45名を市民会館に迎え、第二番目の姉妹都市が誕生する。

明けて1979(昭和54)年2月13日には、多くの歴史遺産と緑に囲まれた古都、ドイツ連邦共和国のヴュルツブルク市と三番目の姉妹都市提携を結んだ。

当日はヴュルツブルク市から親善使節団39名が来津し、両市の共同宣言に花を添えた。

その後、姉妹友好都市を中心に活発な交流が行われ、音楽使節団として大津児童合唱団をランシング市へ派遣したり、市の教育委員会主催の教員海外派遣事業なども始まり、しだいに友好都市相互の市民と市民の交流へと視野が広がっていく

中国黒龍江省牡丹江市が四番目の友好都市となるのは、アジアの人々と熱い友情をかわした「アジア卓球技術交流大会」から9年の歳月を経た、1984(昭和59)年12月3日のことである。

おりしも56年から始まった中国残留孤児の肉親探しで、日本中が中国への関心をひとしく高めていた時期でもあった。

大津市役所において「議定書」に調印した山田豊三郎市長と牡丹江市長は「子々孫々に至るまで」と、経済・文化・教育など幅広い交流と相互協力を誓って固い握手を交わした。

一方、すでにその頃、大津商工会議所では同じアジアの韓国亀尾市との間で市民交流が盛んに進められていたが、1986(昭和61)年、両市の商工会議所が姉妹提携を結ぶ。

以後高校生のスポーツ交流なども行われ、1990(平成2)年4月12日、両市の間で待望久しかった姉妹都市を締結する。

ちょうど大阪鶴見緑地で『花の万博』が開幕された直後のことで、大津市では国際交流課を設置し、時代の潮流である国際化に対応しようとしていた。

1988(昭和63)年は大津市制90周年記念として、姉妹友好都市の市長会談をはじめ、「フレンドシップ・インバザール」の開催牡丹江市への市福祉保健行政講演団の派遣など、国際色豊かな一年であった。

この年から中学生のアメリカランシング市への派遣が始まり、1995(平成7)年からはランシング市からも中学生を迎えることになる。

未来を担う青少年が異文化を体験し、国際社会の一員としての自覚を養い、さらに友好と友情の絆を結ぶという多くの期待に応え、立派にその役目を果たしている。

また、帰国後も積極的な国際交流活動への参加など、その成果は大きい。

こうした時代の流れを受けて、1991(平成3)年、大津市は「総合計画基本計画」の中に、「国際文化交流都市」を大きな柱の一つに据え、積極的な国際交流の推進を打ち出すこととなった。

さらに5年後の1996(平成8)年には大津市ならではの国際交流、国際貢献、国際協力のありようなど、21世紀を見据えた「大津市国際化対策大綱」を策定している。

ところで、国際交流のあゆみをひもとくとき、市民サイドから、世界の人々とさまざまな交流活動を進めてきた(財)大津市国際親善協会の存在を忘れることはできない

前身である国際親善委員会が1970(昭和45)年に発足、53年になって大津市国際親善協会となり、1993(平成5)年10月には財団法人となった。

設立以来、国際人をめざす市民の先頭に立って姉妹友好都市への親善訪問や、大津を訪れる外国人の受け入れなど多彩な事業を展開している。

このように各界各層による交流の輪が広がり、相互理解の深まった1997(平成9)年8月、牡丹江市から「名誉市民」の称号を贈られた山田豊三郎市長は、同年9月1日、「9月の市長のことば」のなかで、その喜びとともに、「このたびの称号は、職員はもとより28万市民の友好交流の積み重ねの結果、私に贈られたものであると確信する」と、市民外交を讃えている

市制100周年を迎えた1998(平成10)年も、様々なかたちの国際交流が行われた。

7月になると、なぎさ公園のサンシャインビーチに「ヴュルツブルクハウス」がドイツの伝統的民家そのままに瀟洒な姿を現した。

9月30日にはヴュルツブルク市から市長ほか市民や関係者47名を招いて竣工引渡式が行われたが、この建物は平成元年、大津市がヴュルツブルク市に造った日本庭園「近江の庭」の答礼にと、技術者の派遣や資材提供を受けて建設されたものである

ちなみにそのとき造られた「近江の庭」から大津市の庭園外交がはじまり、1991(平成3)年亀尾市に「友好の庭園」、1995(平成7年)インターラーケン市に「友好の庭」、そして1998(平成10)年中国長春市に「長津園」を作庭、友好の証として多くの市民に親しまれている。

同年10月1日の市制100周年記念日には、多くの姉妹友好都市の人々を招いた盛大なセレモニーが開催され、また10月14日には「第七回世界地方都市十字路会議」が開かれるなど、まさに「日本の大津」から「世界の大津」へと羽ばたくにふさわしい門出となった。

(図説 大津の歴史 下巻 204頁~207頁)

【掲載終わり】--------------------------------------

今も、新姉妹友好都市の提携検討が話題となっていますが、その時代背景や市民の交流、市長のリーダーシップなど、気運を的確にとらえたとき、その友好は現実となります。

あせらずに、地道な市民交流を重ねることが第一であります。

宮尾 孝三郎

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コメント

ほ~大津市は国際交流積極的に展開しているんですね!勉強になります

市長のリーダーシップは重要だと思います。そして私達市民もさらに市政に関し勉強する必要性がありますね。いや勉強したい!

若武者さん、ありがとうございますhappy01

私は、仕事の縁で平成9年からの大津市民でありますので、日々勉強であります。

大津の歴史は、なかなか味わい深いものがありますねhappy01

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