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2009年6月26日 (金)

オウム真理教の背後には…

先ほどまで、フジテレビ(関西テレビ)の「妻よ!松本サリン事件の犯人と呼ばれて…」を見ておりました。

210626

私は、1987(昭和62)年から1990(平成2)年までの間、東京で暮らしておりました。

東京都目黒区東山で新聞奨学生として生活させていただいておりましたときに、その配達エリア(渋谷区鉢山町、鶯谷、桜丘、南平台)の電柱には「渋谷・中野・杉並をよくする会会長麻原彰晃」というポスターがいくつも貼ってあって、その風貌などをみて、シンセサイザー奏者“喜多郎”と勘違いしてしまった私は、結構興味がありました。

そして、平成元年11月6日に私の憧れの人であった松田優作氏が癌のため亡くなった時に、荻窪で葬儀があるとか噂を聞きつけ、駅を降りたところで「彰晃 彰晃 しょこしょこ 彰晃 麻原彰晃note」と象さんのかぶりものとオウム服の女の子たちが、狂ったように踊っているのをみて、恐怖を覚えた瞬間、オウム真理教は直感的に危険な集団だと感じた私は、荻窪駅構内に引き返し、松田優作氏の葬儀会場とうわさされた寺へ向かうことを断念したことを、今でもよく覚えております。

今回のドラマの「松本サリン事件」のとき(1994(平成6)年)、私は自衛官になっており、陸曹候補生として忙しい毎日を過ごしておりましたので、あまり詳しくは報道を見ておりませんでしたが、その事件の毒ガス成分が「サリン」であることを知ったときの衝撃は、この国の不気味さを感じさせるには十分でありました。“戦争にない状況下で、人に対して無差別に毒ガス攻撃をおこなった世界でも稀な事件”だった為であります。

翌年の1995(平成7)年1月17日に阪神淡路大震災が発生します。そのとき私は京都に所在した第4陸曹教育隊に教育入隊しておりましたが、3月の休暇で激しく罹災した神戸の実家に帰省したのが3月19日、その翌日の3月20日の朝のニュース速報で、「東京の地下鉄でガスが撒かれた模様」という一報を見、「サリン」を直感したのも、よく覚えています。

オウム真理教、ヨガサークルからはじまったこの集団は、ほんの数年で大規模武装集団に成長します。

信者のお布施だけで、アレだけのアジト建設や武器製造など、できるものではありませんので、その資金調達ルートの解明がいまだに明らかにされていないことが、私の“不思議”であります。

一体、オウム真理教の背後組織はどこのどんな組織だったのか?その組織は日本国家転覆を考えていたのか、ほかにも目的があったのか、公安調査庁の活動をこれからも注視してまいりたいと思っております。

【以下掲載開始】-------------------------------------

公安調査庁業務より

公安調査庁は,無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律に基づき,オウム真理教(教団)に対する観察処分(平成12年1月28日に公安審査委員会)が決定。

平成15年1月23日に1回目,平成18年1月23日に2回目の期間更新決定)を実施しています。

平成19年中は,延べ41か所の教団施設に立入検査を行い,教団の活動状況を明らかにするとともに,これらの調査結果を17の関係地方公共団体に延べ47回提供しています。

教団は,平成19年5月,主流派と上祐派に内部分裂しましたが,両派とも依然として,松本サリン事件や地下鉄サリン事件などの首謀者である麻原の強い影響下にあり,その危険性に変化のないことから,同人を盲信する信徒らによる不法事案の発生が懸念されます。また,教団施設をめぐっては,地域住民が今なお精神的苦痛や不安感を訴えています。

公安調査庁においては,教団に対する監視・調査体制を強化するとともに,同教団が二度と無差別大量殺人行為を起こすことがないよう,観察処分を厳正に実施し,公共の安全の確保と国民の不安解消に努めています。

【掲載終わり】---------------------------------------

宮尾 孝三郎

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