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2009年6月22日 (月)

第60回高松宮記念杯競輪

平成21年6月18日(木)から21日(日)の間、『第60回高松宮記念杯競輪』が大津びわこ競輪場で開催されました。

第60回ということですから、第1回目は1950(昭和25)年ということになります。

昭和25年といいますと、競輪場が4月中旬に完成し、県営の第1回競輪が行われたのが4月20日。その翌日の21日のレースにに高松宮杯が、25日の女子レースは高松宮妃杯を授与することとなりました。実際には、21日は雨で順延し、22日に高松宮杯が開催されております。

このときから、年に一度は高松宮杯を開催することとなります。

ちなみに、なぜ大津の競輪には「高松宮杯」を開催することとなったのか?これには浅からぬ理由があります。

1940(昭和15)年につくられた近江神宮の祭主が高松宮であったということ。戦後、近江神宮外苑には、スポーツ地区として野球場、総合運動場、水泳場などの施設があり、これに競輪を加え、市民並びに県民及び観光客の近代的娯楽のセンターたらしめることを期待されたものであったようです。

なぜ、当時公営ギャンブルを大津市はやろうと思ったのか?この発意は「少しでも市財政の窮乏を救おうという意味合い。」であったとあります。そして、1947(昭和22)年12月16日の市議会に「大津市競馬場設置に関する建議」が提出されております。当時、栗太郡治田村に草津競馬場がありました。しかし、交通の便や立地の悪さゆえ、衰退の一途を辿っておりました。もし、大津に移転することができれば、草津競馬場の4倍程度の増収が優にあると考えられていたようであります。

しかし、当時の森田象一市長が「賭博行為で財政をまかなうくらいだったら、赤字の方がましだ。」という意見であり、結局いつの間にか立ち消えになったとあります。

しかし、政府が1948(昭和23)年8月に『自転車競走法』と『同施行規則』を公布施行しました。いくら森田市長がギャンブル嫌いだとはいえ、赤字財政をかかえている大津市が、この動きを黙って見送る法はなく、調査を開始します。

競輪を最初に実施したのは、小倉市であります。1948(昭和23)年11月のことです。続いて、大阪住之江がはじめ、さらに大宮がはじめました。いずれも驚異的な好成績を収めたとあります。それをみて、大津市でも積極的に動き始めます。

1949(昭和24)年7月に、森田象一市長が辞職し、代わって佐治誠吉助役が市長に当選しました。佐治市長は、森田前市長とうってかわって積極主義者であったそうです。

これが、大津市が公営ギャンブルを始めることとなった起源であります。

ちなみに、大津市は「自転車競走施行者指定市申請」を直接、総理大臣宛てに、1949(昭和24)年12月18日、申請書提出しております。

その認可は、1950(昭和25)年1月21日付で、もたらされました。

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総理府告示第11号

自転車競走法(昭和23年法律第209号)第1条第1項の規定により自転車競走を行うことのできる市を次のように指定する。

昭和25年1月21日

内閣総理大臣 吉田 茂

大津市

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このような経緯で、現在あるということを、確認してみましたhappy01

(参考文献 : 新大津市史 下 昭和37年3月31日発行)

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宮尾 孝三郎

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