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2009年4月 9日 (木)

軍都大津の歴史が紐解かれます

大津市歴史博物館で行われている展示から・・・

第48回企画展
道楽絵はがき-コレクターたちの粋すぎた世界-
平成21年3月6日(金)~4月19日(日)

まだ、観に行けていませんが、必ず行こうと思っています。

理由は、同じ苗字の方の作品が目に付いたから・・・

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さらに、歴史博物館では非常に興味深い企画展がこの夏お目見えしますhappy01

下記記事はコチラから入れます↓

第49回企画展
戦争と市民
平成21年 7月25日(土)~8月30日(日)

『大津市は今から60年程前まで、大津連隊区司令部・大津海軍航空隊・滋賀海軍航空隊・陸軍少年飛行兵学校、天虎飛行研究所、比叡山上の特攻基地など、軍の関係施設が設置されていました。本展では、明治8年(1875)の陸軍歩兵第九連隊の設置から説き起こし、第二次世界大戦、さらには戦後の進駐軍時代に至る、大津にとっての戦争の歴史を紹介します。特に、軍事施設のありさまや、「銃後」と呼ばれた内地の市民生活に焦点を当て、その変遷を、残された資料や写真パネルなどによって振り返ります。』

とあります。

実は私、平成20年12月大津市議会定例会で「本市の新しい都市構造の実現に向けて」という質問をさせていただいたのですが、そこで「戦争体制の名残」について触れさせていただいております。

以下、質問内容を再掲します。該当部分は色をつけておきますので、一度ご覧ください。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。

三つ目の質問に参ります。本市の新しい都市構造の実現に向けて、お伺いをいたします。

今からお尋ねさせていただく内容は政策についてでありますから、各論を求めるものでは一切ありません。また、早急な変化を望むものでもありませんから、あらかじめ御理解いただいた上で始めたいと思います。

本市は、皆さんが日頃から感じておられるとおり、その地形は南北に長く、琵琶湖に沿って平仮名の「し」の字を思わせるような形をしております。そして、この南北に長く伸びた形ゆえに行政効率が悪いと言われます。本市は昭和2年12月の政府閣議によって、都市計画法による都市計画指定都市に決定され、その決定に基づき昭和3年に都市計画「大大津市」を掲げた本市は、昭和7年、滋賀村を合併、昭和8年には膳所、石山両町を合併、戦後の昭和25年には「大大津市」構想を時代に即応してさらに拡大することが提起され、翌昭和26年に雄琴、坂本、下阪本、大石、下田上の5村が合併、昭和39年には、市の発展は広域経済によらなければならないとし、近隣町村の合併が具現化され、昭和42年には瀬田、堅田の両町が合併、そして記憶に新しい志賀町の合併が平成18年と、5回の合併を繰り返し、現在に至ります。

本市はまちづくりの基本理念とともに、10年後の大津市の将来都市像を掲げ、それを実現するための基本方針、基本政策、まちづくりの主体及び姿勢などを示した市政運営の長期的な基本方針である大津市総合計画を平成19年度から28年度までの期間で計画されました。その計画中、基本フレームには、第4次大津市国土利用計画において、本市を代表する七つの都市核として堅田、坂本、西大津、大津・浜大津、膳所、石山及び瀬田を位置づけ、特に大津・浜大津、膳所、西大津の三つの都市核が連なる地域を中心都市核として機能充実と相互連携を強化することとしています。また、日常生活拠点としての役割を果たし、同時に、特有の個性的な機能を持つ地域核として、近江舞子、木戸、和邇、雄琴、仰木、唐崎、南郷、田上、大石の九つの箇所を位置づけています。さらに、特徴的な都市機能の集積を図るゾーンを個性あるゾーンとし、七つの箇所を位置づけられておりますが、これらの提案は、行政効率の悪いと言われる本市の都市構造をコンパクトに再構築する重要な提案としています。

さて、このような構想を実現させるためには、現状から見てどのような取り組みが有効でしょうか。本市の都市構造はさまざまな形で分析することが可能です。平成17年3月の大津市庁舎整備検討委員会の報告には、北部地域、西部地域、中部地域、南部地域及び東部地域と五つの地域分割案が例示されておりましたし、消防局で見ますと、北、中、南、東の四つ、それに志賀、西の両分署を加えると六つの地域担当となります。すこやか相談所、地域包括支援センターは和邇、堅田、比叡、中、膳所、南及び瀬田の7カ所であり、このように見ていきますと大体五つから七つのブロックに分けられることから、都市核のビジョンは実現可能なように見えます。

しかし、これらは行政側の発するゾーニングであり、本市に住む市民の尺度はもっと細かいものであります。市民のふだん身近に感じる尺度は、学区であります。これは、本市全体で36学区にもなり、その学区ごとに支所機能と公民館機能をあわせ持った市民センターが設置されています。これらの統廃合を視野に入れ、都市内分権や都市構造を語ることは、先ほど述べました大津市庁舎整備検討委員会で試みられたものでありますが、どうも芳しくなかったようです。話は具体的にしていかなくてはなりませんが、もう少し歴史的背景をお話ししてからにしたいと思ってますので、もう少しおつき合い下さい。

さて、支所という機能は一般的にどのようなところに設置されるものなのでしょうか。本庁の出先の事務所である支所は、本庁から離れたところあるいは交通の便の悪いところに設置されるのが通常であります。しかし、本市の場合、その考えは当てはまりません。青山市民センターが完成次第、本庁からの距離、交通の便に関係なく、36すべての学区に支所が設置されることとなります。このことを不思議に思い、調べてみますと、昭和13年までさかのぼることとなりました。

昭和13年に政府は国家総動員法を制定、翌14年に配給制に移行することを決定した政府に従い、本市も昭和15年に配給制に移行しました。その年の9月11日に内務省訓令第17号、部落会、町内会等整備要領が政府によって示されますと、12月16日、本市も市長告諭による部落会、町内会を制度化しました。そして、昭和18年には地方制度改定により町内会を市町村の末端機構に組み入れ、配給制度の事務などを行わせたとあります。昭和20年、戦争が終わり、大政翼賛会は解散しましたが、町内会は配給制を続ける必要から存続しています。このときはまだ市町村の末端機構にあり、生活必需物資の配給制度の事務を無償で行わせていたとあります。

昭和21年、本市は町内会規定を改正、このときに町内会長の市長任命制を廃止しています。昭和22年1月20日、占領軍による町内会解散命令が出ます。この体制は戦時の大政翼賛会の延長にあるから望ましくないというのが占領軍の見解です。そこで、本市は同年4月9日に各町駐在員規定を制定します。これは、占領軍によって禁止された町内会長による配給事務を市の任命する駐在員に引き継がせるものでした。他都市では町内会はそれでも存続したらしいのですが、本市は在留米軍の厳しい監視下にあり、不可能であったとあります。そこで、本市ではできるだけ町内会以外の各町の有力者を駐在員に任じて同等の効果を期待しましたが、うまくいかず、昭和22年9月地方自治法第155条によって市役所支所設置条例を制定します。そのときに、滋賀、藤尾、膳所、石山、晴嵐の5カ所に支所を設け、若干名の職員を配置、昭和24年12月には支所設置条例を改定し、本市に九つの小学校がありましたが、その学区ごとに市役所支所を設置しました。当時の支所長の役割は、駐在員に任命した各町の有力者を学区ごとにまとめて支所長の指揮監督下に置き、配給等機能の向上を図るという考え方でした。これが本市における支所の由来だそうです。

その後、配給事務もその役割を終え、昭和30年には、町内会という名称は大政翼賛会を連想させるものとして自治会と改称し、昭和42年に広域合併したことにより、21学区となっています。その昭和42年には、学区ごとに公民館を設置する条例を制定し、昭和49年には市民都市大津を目指して大津市総合発展計画が打ち出され、コミュニティの重要性をうたっています。その中で、それぞれの地域に平等かつ適切に市民のための施設として集会室、図書室、事務室、談話室や学習室などを設け、児童館、老人憩の家、地区公民館、市役所支所などの機能を持たし、子どもからお年寄りまでがいつまでも楽しく気軽にやってきて語り合える場所として市民センターを配置することを表明しています。そして、その機能は現在では一部変化していますが、今でも有機的に機能しています。

ここまで調査させていただいて、なぜ最初に設置された市民センターが市役所に近い滋賀市民センターだったのかということがわかりました。遠い、不便という理由ではなく、最初から学区ごとに市民センターを設置する計画だったからということです。これにより、本市の地形が南北に長く行政効率が悪いという理由で市民センターが全学区にできたわけではないということがわかりました。しかし、今までは、行政効率が悪いから支所機能を含む市民センターが学区ごとに設置されているという理解で浸透しておりますし、現に非常に便利ですから、行政側の行政改革プランなどを進めていくに当たり、市民に相当な御理解を深めていただく努力をしていただかなければならないと感じています。

しかし、既に気づいておられる市民も少なからずいらっしゃるということも日々の活動で確認することができます。今や地域における住民公共サービスを担うのは行政だけではないという気づきであります。それは、平成19年度から始まった本市の現総合計画において、コミュニティについて重要視され、新しい公のあり方を追求していることからも明らかです。協働の考え方であります。本市では既に協働のまちづくり庁内推進本部を設置され、大津市らしい協働の仕組みづくりに取り組んでいくビジョンをお持ちです。協働は、学区の地縁型コミュニティにも新しい公を期待するものです。それは、要望型から提案型への変化を期待するものでもあります。これまで大津市独特の学区要望というものがあり、その取りまとめゆえに支所が存在するといった向きもあったようですが、変化の時が来ています。

ちなみに私の住む長等学区の市民センターは、昭和54年8月12日に竣工し、公民館開設は同年10月1日、市役所と極めて近い距離にあることから、長い間支所は設置されませんでしたが、平成13年、当時から目立ってきた大型マンション建設をはじめ都市計画道路等の推進ほか交通対策問題が課題としてあり、そうした課題解決に向けた地域密着の調整機能を果たす役割として支所が設置されました。このような特殊な事情があり、市役所と目と鼻の先に支所が設けられたわけですが、その間にも協働の理解は深まり、今では非常に自己完結力の強い地域として内外に認められております。そのような力を持った多くの地域では、地域ごとの個性と魅力をさらに高めていくため、現総合計画にあるような個性的でコンパクトなまちづくりに積極的に寄与されていくことになるのでありましょう。

また、そのような当時の一定の役割を終え、支所機能を持たない市民センターに戻った場合、庁舎の扱いではなく公民館としての扱いに戻ることから、平成15年から始まった指定管理者制度も適用可能となりますし、もともと公民館は収益を上げるために設置された施設ではないことから、非常に市民理解の得やすい形態となることでしょう。本市の都市構造について、プラン提示から2年がたとうとしておりますが、現時点でどのようなビジョンを描いておられるのか、以下数点お伺いすることで確認したいと思います。

都市核はJR駅を中心軸に円形を描くように形成されていくという構想であると思いますが、その実現に当たっては駅周辺にどのような交流機能を持たせるのか、検討されている現在までのお考えをお聞かせください。

次に、中心都市核である大津・浜大津都市核、膳所都市核、西大津都市核エリアは将来どうあるべきか、ビジョンをお聞かせください。

都市核、地域核と新しいビジョンを示した後も、36ある学区すべてに今もやはり支所が必要と考えておられるかどうか、お聞かせください。

都市核、地域核、そして葛川や山中比叡平等、利便性に懸念のある地域には支所機能を残し、都市核にはすこやか相談所や地域包括支援センターなどを集積し、地域総合支所のような形態にし、政令市に行政区があり区役所があるような区役所のイメージに近づけることが市民の暮らしやすさにつながると考えますが、見解をお聞かせください。

支所機能をなくし公民館となった市民センターに指定管理者制度導入を検討される可能性をお聞かせください。

ちなみに私は、学区自治連合会等に指定管理者制度をお受けいただくのが最も自然な流れであると感じています。

最後に、本庁舎から私の足で5分の距離にある長等市民センターの支所機能を整理し、新しい公の担い手の拠点づくりとすることが、新しい都市構造推進への起爆剤になると考えますが、見解をお聞かせください。

人口統計等を見ておりましたら、近い将来、小学校の統廃合も予測される地域がありますし、学区という概念からそろそろ脱却する時期が来ているのかなと感じています。新しい都市構造の実現に向けては、平成21年4月に本市は中核市になることから、変化の機は熟していると推察いたします。市民も変化を求めています。中核市になるこのタイミングで、この大きな変革をぜひとも成功させていただきたいと願っておりますので、この際、前向きで勇気ある決断をお示しいただきますようにお願いいたしまして、質問を終わります。(拍手)

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・

夏のこの企画展、待ち遠しいですねhappy01

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