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2008年11月

2008年11月30日 (日)

日本国航空自衛隊

11月28日、日本国航空自衛隊によるイラク復興支援派遣輸送活動を集結すると日本政府の発表がありました。

【以下転載開始】--------------------------------------

麻生内閣総理大臣の談話

(イラク人道復興支援特別措置法に基づく航空自衛隊の活動の終結)
平成20年11月28日

 政府は、イラクでの航空自衛隊による輸送支援が、その活動目的を達成したと判断し、年内に任務を終了させることを決定しました。
 国際社会は、イラク人自身による復興と再建を支援するため、一致して取り組んでおります。日本も、自衛隊による活動と政府開発援助(ODA)による支援を「車の両輪」として、実施してきました。
 この間、イラクの民主的な政府の樹立は着実に進み、また、治安状況についても改善傾向にあり、イラク人自身の手による自立的な復興が進められています。

 航空自衛隊は、国連や多国籍軍に対する輸送支援を通じて、イラクの復興と再建に貢献してきました。これまでの実績は、輸送回数約810回、輸送人員約4万6千人、輸送物資重量約670トンに上り、イラクや国連、多国籍軍関係国から高い評価と多くの感謝を受けてきました。

 最近は、国連が独自のチャーター機の運航を開始したり、多国籍軍としての任務を終了する国も出るなどしています。イラク自身も、来年以降の多国籍軍の活動を見直したい意向です。
 今回の決定は、こうしたイラク政府の意向を踏まえたものであり、国連や関係各国からの理解も得ています。

 この機会に、自衛隊を温かく迎えていただいたイラク政府・国民、自衛隊の活動に御協力頂いたクウェート及び米国を始めとする関係国や国連に心より感謝します。
 また、自衛隊員が、大変厳しい環境の中で、任務に従事していることは、私の誇りです。任務に従事した隊員諸官に、心から敬意を表するとともに、深く感謝します。任務が終了するまで、引き続き、全力を尽くしてもらいたいと思います。

 年内に航空自衛隊の任務が終了した後も、日本は引き続き、円借款事業や技術協力等を通じたイラク支援を行います。日本とイラクとの関係は、政治対話や経済・ビジネス関係の強化に移行する時期にあります。日本は、復興支援の成果を着実に根付かせ、イラクとの幅広い分野での長期的な友好関係を構築することを目指します。(首相官邸)

【転載終わり】----------------------------------------
平成16年から行われたこの任務は、事故なく無事に終了できそうです。

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↑飛行ルート

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↑活動拠点となったクウェートのアリ・アルサレム空軍基地

任務を遂行されたみなさん、そしてご家庭で無事帰還を心待ちにしているご家族のみなさん、大変ご苦労様でした。

これからは、イラクの平和が継続するように、日本の平和協力がよりいっそう向けられるように期待します。

アメリカが、イラクに大量破壊兵器があるとして攻撃を開始したイラク戦争。しかし、その根拠となった大量破壊兵器は最後まで発見されることはありませんでした。

この戦争によって利益を得たのは、軍産複合体と国際金融資本でした。アメリカ国家自身はこの戦争によって、疲弊してしまいました。

この2つの事実を忘れることなく、次になにが起こるのか注意深く見守りましょう。

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さて、今日は岐阜の各務原(かがみがはら)で航空自衛隊の航空祭があり、防衛協会青年部として参加してまいりました。

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↑離陸直後のブルーインパルス機

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↑そのまま、ほぼ垂直に上昇

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↑縦列に飛行

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↑デルタ編隊

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↑空中給油機KC767J

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↑電子戦訓練支援機EC-1

改めて、日本の防衛のスケールを確認できた、良い研修でした。

宮尾 孝三郎

2008年11月28日 (金)

どこかの国、ニッポン

アメリカは、金融不安により先行きが不透明になっておりますが、今年の10月15日に「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書(いわゆる年次改革要望書)」を日本は受け取っています。

その文書による要望は多岐にわたっており、多くの皆さんが高い関心を持ったのは、「郵政民営化はいままでの年次改革要望書に屈したもの」といったところでしょうか。

今年の文書はまだサラッとしか眼を通しておりませんが、非常に興味深い部分がありました。

【以下転載開始】-------------------------------------

IV. プライバシー
2007年6月の「個人情報保護に関する取りまとめ」に対する意見の概要(概要)に基づき、国民生活審議会は個人情報保護法の実効性を精査している。

同法の各種施行ガイドラインを標準化するために日本は必要な措置を講じるべきであるとした国民生活審議会の提言を受け、内閣府は、2008年4月から、政府内のガイドラインの統合性や一貫性を高めるための議論を始めている。

米国は以下の事項を日本に対し提言する。

IV-A. 全省庁を対象とする、明確で、一貫した、予見可能な個人情報保護法のガイドラインを策定し、事業分野の特性に整合させるために必要な場合に限り、これを修正する。

IV-B. 国境を越えたデータの効率的な流れを確保する。

IV-C. 個人情報保護法に対する過剰反応を防ぐため、啓蒙(けいもう)活動を継続する

【転載終わり】----------------------------------------

個人情報が、どのような局面で国境を越え、効率的に運用されるのか?

米国の要望を日本国民はどのように捉え、過剰反応すると見積もられるのか?

はたして、日本政府は米国に対し応える努力をするのでしょうか?

平成20年10月30日に報道された「国民のための経済対策」の中で、定額給付金やETCの促進などを麻生総理はうたっておられましたが、これが個人情報収集手段でないことを祈ります。

宮尾 孝三郎

2008年11月27日 (木)

大戸川ダム工事現場を訪れました

昨日に引き続き、ダムの話題です。

いま、滋賀県といえば「ダム」というくらいニュースで認知度が高まっていますが、「淀川水系河川整備計画」の「大戸川ダム」について、お話を伺ってきました。

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↑川で簡易なテント張り、ボーリングをしています。ダムをこの地に造るとして、強度を計測する準備です。

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↑眼下のやぐらの場所に、手前に示す図のグレーで表示されたコンクリートの構造物が建造される予定です。

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↑そのダムは、穴あきダムとして、普段は川の普段の流量を吐き出します。

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↑洪水時には、放流量を280㎥/sの一定に調整します。

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次に、場所を移動し道路の付け替え工事現場へまいりました。

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↑マルで囲ったところが撮影ポイントです。

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↑ダムができると、普段使っている道路はダムに沈むことになりますので、今の道路より70から80m高いところに、道路を建設中です。(土色のところが道路になります。)

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↑同じ場所で振り返りますと、橋脚がこのように確認できます。

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↑ダムができれば危険地帯となるこの場所に、かつて大鳥居という集落がありました。今は土砂や砂利置き場となっています。この砂利等は、道路工事で出たものを集積しており、ダム建設の時には、骨材等に有効活用されます。この場所は下の地図の赤で囲った部分

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そして、上の地図で青く囲った部分が、移転後の大鳥居です。その上空写真がコレ↓

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結構、ダム建設工事は進んでいました。

今、関係府県知事の判断は、ダム凍結ということでしたが、ダムを凍結した場合には川の浚渫(しゅんせつ)を行い、川の氾濫を抑えようと思っていらっしゃいます。

そこで、大戸川を下流に移動しました。

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↑この橋は、昭和28年の台風13号災害で破堤した地域にある羽栗橋です。

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↑この橋は、昭和57年の台風10号災害で決壊した地域にある石居橋です。

このように、川の中は、土砂が堆積し樹木・草木が茂っています。これらを浚渫するのは滋賀県の予算になるのでしょう。

川は深く掘ればよいというものでもないようです。これらの橋脚はそんなに根入れがない(深くまではない)そうですので、川を深くしようと思えば、橋の付け替えになるようです。

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最後に、地域住民代表による公開質問状に対する滋賀県知事意見の一部を紹介しましょう。

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↑上記文書の発簡日付は、平成20年11月10日付

宮尾 孝三郎

2008年11月26日 (水)

ニューディール≒ダム≒親方日の丸

バラク・フセイン・オバマ氏は、グリーンニューディール計画というものをうたっています。

かつて、世界恐慌を克服するために、フランクリン・ルーズベルト大統領が、ニューディール政策を行いましたが、歴史は繰り返します。

当時のニューディール政策は、景気回復と雇用確保を提案するというものでした。そしてさまざまな新政策を議会に働きかけ制定させたわけですが、私がいま引っかかっているのが「TVA(テネシー川流域開発公社)」という公共事業です。

これは、当時32個の多目的ダムをアメリカの地に建設することで、大量の失業者に雇用の機会を与え、購買力を向上させ景気の早期回復をねらったというものであります。

日本の河川の総合開発も、その当時からTVAの影響を大きく受けた形でスタートしており、終戦後、ニューディーラーが多数を占めたGHQ民生局は敗戦間もない日本にTVAをさらに推奨したようです。

そして淀川水系を含む日本全国の従来の河川改修計画を根本的に見直し、多目的ダムを中心に計画されたのが昭和24年に発表された「河川改訂改修計画」であります。

戦後の経済政策は、TVAの影響下で出発しました。ですから、“親方日の丸”とか“土建国家”といわれるようになっていきます。

なるほど、治水や利水も当然ですが、もっとも期待されたのは、雇用確保という部分だということがわかりました。

滋賀県は淀川水系で揺れに揺れています。ひょっとして議論の核心はTVAの終焉ということでしょうか?

宮尾 孝三郎

2008年11月25日 (火)

週末の報告と本日

この連休は、毎日深夜まで用事があって、ブログをお休みしておりました。

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11月23日(日・祝)は午前10時から、拝殿が火事で焼失した早尾神社の新嘗祭が執り行われました。

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↑11月3日午前2時前後に出火し、燃え尽きた拝殿の現場検証の様子

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↑元の場所にほぼ忠実に柱を立てた、拝殿跡

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↑拝殿焼失を告げる掲示

ともかく、すぐそばには社務所そして本殿があったにもかかわらず延焼を免れたのは、ご近所の方が深夜遅くに帰宅する途中で、異変に気づき119番通報していただいたからにほかなりません。本当にありがとうございました!

昼からは、地元の音楽教室の生徒さんの発表会があり、それぞれに、この1年の成果を披露されました。

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「“好きこそ物の上手なれ”といいます。情熱が練習量に正比例し、上達につながりますので、レッスンのときだけ頑張るのではなく、四六時中暇さえあれば、楽器に触れたり、イメージトレーニングを・・・」と、音楽愛好者の1人としてメッセージを贈ります。

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11月24日は、陸上自衛隊某駐屯地司令の勇退(高い職位にあるひとが潔く役職を辞すること。あるいは後進に道を譲る事などを目的にその役職から自ら引退すること。)関連行事がありました。

15年間に及ぶ今日までの単身赴任期間が、ウィットに富む奥様のトークで披露され、会場は爆笑の渦に・・・

司令、防衛大学入学からの37年間、陸上自衛隊の要職を歴任され、このたび無事に勇退されますことを心からお喜び申し上げます。

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11月25日(本日)は、大津市議会12月定例会の提出議案要旨が配布されました。

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今日から、この議案の熟読及び調査に費やすこととなります。

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さて、最後に気になるニュースから

厚生省の元事務次官の連続殺傷事件の犯行の動機は不可解です。

犯人と名乗り出頭した小泉毅容疑者は、というよりも報道は何かをあえて避けているような気がします。

あらゆる意味での“口封じ”・・・

真相が解明されることはないような気がします。

宮尾 孝三郎

2008年11月22日 (土)

世界の劇的な変化を感じる動画

7月の洞爺湖サミットのころ、アメリカは、「今はG8だが、今後はG2(米中態勢)で世界を動かす。」などという論文を発表されたりしていましたが、いまは、仏サルコジの推進するG20が実現し、世の中が本当に変わっていく瞬間にいることを実感します。(7月の関連記事はココをクリック

それにしても、露骨です

(↑ここをクリックすると、衝撃動画が見れます。)

アメリカは今後、基軸通貨を返上することになるかもしれません。

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さて、今日はNPO法人西大津防犯の夜間定期巡回活動の日。14名の参加と警察犬「ミンナ」の参加があり、先日のドコモショップの携帯電話が600万円相当盗まれた件の状況確認や、湖沿いの不穏な兆候を確認して回りました。

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今日は、わけのわからないものが、路上に大量に撒かれていました。

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↑これが何かご存知の方がおられましたら、お教え下さい!

よろしくお願いします。

宮尾 孝三郎

2008年11月21日 (金)

大胆犯行です

私の住む街で、事件がありました。

【以下転載開始】--------------------------------------

携帯電話104台盗まれる 大津

Kyoto Shimbun 2008年11月21日(金)

 21日午前5時40分ごろ、大津市桜野町2丁目の「ドコモショップ西大津店」で警報機が作動した。大津署員が駆けつけると、従業員用ドアがバールのようなもので開けられ、店内にあった携帯電話104台(約600万円相当)が盗まれていた。同署が窃盗事件として調べている。

 大津署によると、携帯電話は在庫品置き場の鍵のかかったロッカー3台の中に保管されていたが、扉をバールのようなもので開けられていたという。

【転載終わり】----------------------------------------

昨晩は、レストランヴュルツブルクでのボジョレー・ヌヴォーパーティーに出かけ、楽しいひとときを過ごさせて頂きましたが飲みすぎて、朝の事件の時間帯は目と鼻の先の距離であったにもかかわらず、まったく気づきませんでした。

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このような事件は、ドコモやソフトバンクで採用しているSIMカード(電話番号を特定するための固有のID番号が記録されたICカード)さえあれば、どの電話でも使用可能になるという特性から多発しています。

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上記写真の緑色のカードがSIMカードです。

このような窃盗は、インターネットーオークションなどで売りさばく為に犯した犯罪でしょう。

ネットオークションを主催されている方は、ぜひとも警察にご協力頂きたいと思います。

宮尾 孝三郎

2008年11月19日 (水)

歴史は、やはり繰り返します

だんだん世の中が、きな臭くなってきました。

厚生労働省の元事務次官2名が狙われる犯罪が発生しました。おそらく手口は、宅配業者を装って玄関を開けさせ、刃物で襲うというものでしょう。

これは、用心していても見抜くことは至難の業です。

予防としては

  • 訪問者の顔を、インターホンで確認できる仕様に交換する。
  • ドアチェーンをし、扉を全開にしない。
  • 誰からなにが送られてきているのか、相手に尋ねる。

そして、その受け答えで不審な気配がしたら、扉を閉め110番通報する。

警察庁は上記に示したような、新たな市民ルールを啓発するというのはどうでしょうか?(もちろん宅配業者にも協力を要請)

昭和の大恐慌のころも、テロが相次ぎましたが、歴史は繰り返すのか、それとも歴史は計画上にあるのか?

とにかく、しばらくは細心の注意をはらって、ニュースや国の動向を見守りましょう。

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さて、NPO法人西大津防犯の理事長から、連絡が・・・

法人所有の青パトに新たにステッカーが装着されたとのこと。早速拝見しに行きました。

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パトカーの全体のイメージに、よくマッチしています。

ガソリン価格も下がってきたし、12月は滋賀県警でも歳末特別警戒となりますので、パトロール体制を再構築するのに、いいきっかけとなりました。ありがとうございます!

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さて12月議会まであと10日あまり。もうひとふんばりです。

宮尾 孝三郎

2008年11月18日 (火)

“自衛隊OBとして、常備自衛官を育て見守る”意識

予備自衛官訓練招集から、戻ってまいりました。

まずは、今回出頭されたみなさん、大変お疲れ様でした。

今回の収穫は、予備自衛官のある方の一言でした。

「我々自衛隊のOBは、常備自衛官(現職自衛官のこと)を育て見守るという意識で、本訓練に取り組まねばならない。」

さて、いまの陸上自衛隊は、海外(不安定の弧)に目線を向けた訓練を積まれています。その一部を紹介いただき、我々も体験させて頂きました。

その訓練とは、CQB(25m以内の間合いで、敵と遭遇することが予測される市街地などにおける戦闘術)の導入部分であるガンハンドリング。

このガンハンドリングをこの5日間訓練で何度も訓練しました。訓練部隊によると、このガンハンドリングが銃の取り扱いの基本になり、今までの取り扱いはしなくなるとのことでありましたが、ここで疑問。CQBは、あくまで近接戦闘であり、そのレンジ(敵との距離)は25m以内であることから、比較的レンジの長い射撃の場合は、どうなるのか?今回の我々の200m射撃においても、CQBのガンハンドリングを実施するように徹底されましたが、これについては、今後精査が必要と思慮します。

200~300m射撃は精密射撃であり、25m以内のレンジにおける近接戦闘とは明らかに射撃術が異なります。

ちなみに精密射撃が比較的得意な私は、このCQBにおけるガンハンドリングを実施しての射撃でも、特に影響は受けませんでしたが・・・

64式小銃の200m検定射撃の結果ですが、前回の出頭では44点でしたが、今回の射撃では、伏射ち24点、膝射ち22点の計46点で、2点伸びました。

さて、今日のブログはマニアックすぎて、自衛隊関係者(経験者)でないとまったく意味不明の記述になりましたが、“予備自衛官訓練は射撃練度の維持”を目的にしている私の個人の日記帳として解釈していただければと思います。

これからも、日々変化し続けるであろう自衛隊。毎年現場に入り、自分の目と体で確かめ、“自衛隊OBとして、常備自衛官を育て見守る”意識で取り組んでいきたいと思います。

宮尾 孝三郎

2008年11月13日 (木)

明日から、訓練招集に出頭します

平成20年11月14日(金)から同年11月18日(火)までの間、陸上自衛隊第10戦車大隊で実施される予備自衛官訓練招集に出頭します。

私は、自衛隊に15年間お世話になっておりました。

通常、自衛隊を退職する際に予備自衛官(予備役)になるかどうか選択をすることになります。私は、その勧めのとおり予備自衛官になることを選択しましたので、防衛大臣から訓練招集命令が郵送されてきたら、その命令に従います。

そして、身分は、非常勤の特別職国家公務員であります。

さて、明日から第10師団(中部方面隊隷下で、司令部を愛知県名古屋市の守山駐屯地に置く。第10警備地区〔愛知、岐阜、三重、福井、石川、富山〕の防衛警備、災害派遣を任務)の隷下部隊である第10戦車大隊のお世話になります。

さて、戦車大隊に出頭するからといって、戦車の訓練を受けるわけではありません。

あくまで、予備自衛官としての基礎的な訓練を受けることになります。

  • 基本教練
  • 体力練成(現在の体力がどの程度か知るための体力測定も実施)
  • 射撃予習(実弾射撃に向けての、動作・姿勢・照準練習)
  • 小銃の分解結合(実弾射撃後の銃の手入れを行うため)
  • 小銃射撃(200mのレンジで実射)
  • 歩哨訓練(陣地の警戒や、敵方監視などの訓練)
  • 座学(教場〔教室〕で、知識を深めるための教育を受ける)

などを行うほか、訓練実施部隊ごとの特色ある訓練があります。

しばらく、娑婆(シャバ)の情報が入ってこない、そして24時間統制された環境での生活になります。

また、18日にこのブログでお会いしましょう。

宮尾 孝三郎

2008年11月12日 (水)

今回、歴史認識をジャッジしたのは?

学校で、教科書にしたがって歴史を教わっていた頃、なんで見てきたような記述ができるのだろうと疑問に思うことがありました。その歴史の当事者の記述ではありませんし、「この歴史は、間違いないと誰がいえるのだろうか?」と常に疑問に思ってきました。

いま、歴史認識で国が揺れています。まずは、“日本国政府の公式の歴史的見解”とマスコミが伝えるその文章を見ていきましょう。

【以下転載開始】-------------------------------------

村山内閣総理大臣談話

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。

また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。(外務省HPより)

【転載終わり】---------------------------------------

この談話以降、わが国は多くの局面で、謝罪を繰り返すこととなります。

いっぽう、時のひととなった、元航空幕僚長田母神俊雄氏の論文は、学校で決して教わることのない、違った面での歴史を国民に知らせることとなりました。

戦争には、謀略がつきものであり、騙し騙される情報戦があることを、多くの国民は認識できていないと思います。

その謀略の一例を、“日本を被害者の目線で解説”した元航空幕僚長の論文は、マスコミに相当のインパクトを与えました。そして「村山談話を公式の歴史的見解とする日本国政府を貶める自衛隊」として、紙面をかざり、テレビをにぎわしました。

マスコミ→政府→マスコミ→国民 というふうに、世論を操作されてから、我々はマスコミからお借りした思考によって、この問題を考えていきます。このような状況は精神衛生上よろしくありませんが、日本国憲法第21条は表現の自由で、それを認めています。

国民の“知る権利”は、マスコミによってもたらされたわけであり、元航空幕僚長からもたらされたわけではないことを、我々は今一度認識してみる作業が必要です。

歴史認識のジャッジはマスコミがするべきではありません。マスコミは国民の“知る権利”を充足させるという範囲を逸脱してはならないと考えます。

また、マスコミの発表を『世論』と位置づけ右往左往する政府は、情報戦の上では明らかに敗者となります。国家の活動が、民間営利企業(つまりマスコミ)の情報によって停滞するという現状は、敵国の偽情報がマスコミによって報道されてしまったときなどのケースでも、同様の混乱を引き起こすことを容易に想像させます。

歴史は、多角的なものであり、あくまで国益にかなう分析をすることが正しいのです。そして、謝罪し続けることが国益にかなうと結論づけたならば、そうすることが正しいのですし、新事実が真事実かもしれないという新たな歴史発掘があった場合などは、新たな分析を行い、修正することも国益にかなうことかもしれません。

私は、歴史は常に塗り替えられるものであると思っていますし、生き物のようだと感じています。

宮尾 孝三郎

2008年11月11日 (火)

丁丁発止もひとやすみ

本日は、大津市議会議員互助会の親善グラウンドゴルフ大会があり、会派清正会(しんせいかい)の3名も参加しました。

場所は、伊香立公園グラウンド。当該グラウンドの周囲はびわこサイエンスパークの工事が黙々と続けられておりましたが、その環境下でのプレイ。

伊香立グラウンドの芝は、“定着しない” “水はけが悪い”など当初問題はあったものの、今はよく定着しており、予想以上によいコンディションでありました。

さて、今日の互助会の企画はあくまで、受益者負担の(公的なお金は一銭も入っていない)親睦会でありますから(当たり前の話ですが)、その後雄琴温泉の旅館で懇親会となりました。

しかし、議員が集まって楽しく飲んでいるような状況は、市民に誤解(税金で飲んでいるんじゃないか?)を与える恐れがあるとの配慮なのでしょうか?その場で、執行部による「雄琴地区まちづくり交付金事業」や伊香立の「北部地域新産業拠点形成計画」などの説明を受けることとなりました。

このような配慮はかえって「公費で飲んでいるんじゃないか」と誤解を受けるのではないかと感じた次第です。

「議員報酬(お給料)も税金から出ているのだから、議員報酬(お給料)で飲むのはけしからん!」とお叱りを受けるのであれば、そのような世の中なのだと謙虚に受け止めるつもりではおりますが・・・

私は、本市が神経質になりすぎているという感想を持ちました。

と、シビアなことを書いておりますが、今日の互助会の取組みは、終始笑いの絶えない楽しいひとときでありました。

宮尾 孝三郎

2008年11月10日 (月)

中核市って、市民は理解できていないと思います

本市の若手職員のセンスには、いつも驚かされます。

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そうなんです。本市は確かに平成21年に中核市となることが決定しており、現在鋭意準備中と行ったところなのでしょうが、その状況が見えてこないという感想は多くの方が持っているということも事実です。

本市は、平成16年に301,311人となり、法定人口30万人以上という中核市指定要件を平成17年(301,672人)に満たしています。

中核市というのは、その行政能力ではなく、あくまで法定人口(国勢調査により集計された人口)が30万人以上になるとエントリーできるという制度であります。エントリーとあえて書かせていただいたのは、別にムリして中核市にならなくてもよいということであります。

中核市になると一般的に「政令指定都市」の権限の約7割が移譲されるといいます。別の角度でいうと、滋賀県の行う業務のうち1895の業務が大津市に任されるようになります。

今回の中核市への移行で、本市には、下記のような任務が新たに付与されます。

民生行政に関する事務・・・社会福祉に関する事務。児童相談所の設置以外、政令市とほぼ同様の権限

保健衛生行政に関する事務・・・保健所を自ら設置。政令市とほぼ同様の権限

都市計画に関する事務・・・都市景観の保全などを除き、都道府県の一定の関与が残る。政令市は、都市計画の決定の自由度がより高いほか、市内の国道・都道府県道を自ら管理する。

環境保全行政に関する事務・・・環境の保全に関する事務。政令市とほぼ同様の権限

地方教育行政に関する事務・・・中核市は、教職員の研修を行う権限を持つ。政令市はこれに加え、教職員の人事権も持つ。

このように、政令市とほぼ同様の権限が移譲されますが、政令市のように行政区(区制)を設置することはできません。ですから、南北にひらがなの「し」の字に45,6km伸びる行政効率の悪い状況が、中核市になることで改善されるわけではありません。

私的には、「大津市に行政区が設置できれば、各拠点に区役所を置き、都市核を構成することで、コンパクトシティーが実現できる。」と夢みておりますが、そのような特例は「原則なし」とのことですので・・・夢です。しかし「原則なし」ということは可能性はあるのかもしれません。研究してみます。

また、「中核市に指定されれば、自動的に保健所政令市にもなるのだが、業務の特殊性等からして、それまで経験のない一般市が、中核市としての一般要件を満たしたからといって、いきなり保健所を運営できるようになるとは考えにくい。」という意見があります。
「そのためかどうか、ことさらの法令上の規定は見当たらないが、多くの中核市においては、中核市への移行よりも前に、まず保健所政令市に移行している傾向がみられる。」という見解も見受けられます。

さて、どのようなミーティングになるのか、興味がありますが、あくまで職員のオフサイトミーティングであり、市議会議員は参加も傍聴もできません。あとで、教えていただくことにしましょう。

最後に、タイトルを「中核市って、市民は理解できていないと思います」としましたが、職員も不安なことから、このようなミーティングになるのだと思います。

宮尾 孝三郎

2008年11月 9日 (日)

地域は語り、躍動しています

今日は、朝から「第23回こだままつり」に参りました。

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場所は、滋賀大学付属特別支援学校グラウンド。時折小雨がぱらつき、気温も低めの天候でしたが、多くの方のご来場がありました。

↓オープニングは地元唐崎中学校のブラスバンド部が担当

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↑今流行の「羞恥心」などを上手にアレンジした演奏で、会場が和みました。

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↑出店もグラウンドいっぱいを使っての盛況ぶり。

私は、初めて訪れたのですが、地域恒例のお祭りなのですね。体育館でバザーが始まる頃には、長蛇の列ができました。

さて、グラウンドでのパネル展示や頂いた資料に一通り眼を通し、今までの経緯やこれからの計画がつかめましたので、次に支援学校の校舎に入り「第9回あしあとてあと展」を拝見しました。

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↑小学部・中学部・高学部とそれぞれに、この1年の成果を発表され、その感性の豊かさに感心しました。

障害には、生まれ持ってのものや、乳幼児期の病気に起因するもの、交通事故などの後遺障害などがあり、身体障害・知的障害・精神障害と非常に様々な状態があるので、それぞれの状態にあった活動作りが大切であるということを学びました。

本市北部に「びわこサイエンスパーク」という事業用地が開発中でありますが、そのうち約1万平方メートルを本市が取得し、事業主体である「社会福祉法人おおつ福祉会」に無償貸与することとしました。そして、北部複合施設(仮称)を平成21年から22年にかけて整備し、日中支援施設(定員60人)、ケアホーム(定員30人)、ショートステイ(定員10名)、発達障害者支援センター等の事業をされる予定です。

サイエンスパークという事業用地の特性上、その施設の周りには、研究施設や工場などが用地取得されることが予想されていました。もちろん誘致は、現在進行形ですので、隣接地に工場等が入るかもしれません。しかし、この米国発の金融危機はトヨタの下方修正に見られるとおり、下請・孫請に烈風が吹きすさぶのは必至で、サイエンスパークの事業用地の販売は、より厳しいものになる可能性が出てきました。

しばらくは、静かな環境での地域福祉の拠点として活動できるでしょう。

また、景気が上向き、サイエンスパークの企業誘致が軌道に乗れば、ノーマライゼーションの働きの場となるかもしれません。

深く勉強させていただいた1日でありました。

宮尾 孝三郎

2008年11月 8日 (土)

無事にお帰りいただいたようです

大津市議会は11月3日から7日までの間、中華人民共和国黒龍江省牡丹江市へ海外視察に行っておりましたが、無事にお帰りいただいたようです。

本日、視察に行っておられました議員の方にお会いすることがありましたので、色々お伺いしたいとおもって、2,3のお尋ねをしましたが、「後日、報告がありますので・・・」ということで、お話いただけませんでした。

本市のホームページには、この海外視察についてなにも情報がありませんでしたので、訪問させていただいた牡丹江市さんのホームページを見てみようと思って、本市ホームページからリンクをさがしたところ・・・あっ、ありました!

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ところが、ココをクリックすると・・・

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接続できないという表示が出ました。どうも、牡丹江市のホームページに問題が発生しているようで、本市の問題ではないようですが・・・

本市の訪問団がどのような歓迎を受け、どのような視察を受けたのか、知りたかったのですが、残念です。

ちなみに、インターネット上で検索してみると、相模原市↓

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横浜市↓

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このように情報発信は、大事だと思います。観光旅行と勘ぐられないためにも・・・

さてここからホームページという話題に移りますが

大津市のホームページでは↓

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といったように、ホームページの使い勝手についてのアンケートを行っておりますので、有益なご意見をお寄せ下さい。

インターネット社会に入って(Windows95から)13年になります。ホームページなどによる情報発信は安定期に入ってきたように思っていましたが、ちょっとくたびれてきちゃったのかな?

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さて、今日はNPO法人西大津防犯の定期夜間巡回活動の日。本日も各町から多くの心ある方々がユニフォームを着用し、集まってくれました。

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本日も異常なし。大変お疲れ様でした。

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そして、平和な1日が終わりました。ほっとしてマンションに帰るとロビーでは、マンションの文化祭の写真展と子ども会絵画展が展示してありました。

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治安の安定という土壌に文化の華が咲いています。

宮尾 孝三郎

2008年11月 7日 (金)

農作物の自給率向上のために

昨日の新聞に興味深い記事が掲載されておりました。

【以下転載開始】--------------------------------------

「公務員ハンター」続々
猟友会メンバーの高齢化対策 自治体が職員を養成

 農作物に被害を及ぼし、人里への出没が相次ぐサルやクマなどを捕獲する“公務員ハンター”が全国で増えている。被害が頻発するなか、地元猟友会のメンバーは高齢化してハンターは減るいっぽう。頭を悩ませる自治体の中には、職員をハンターとして養成し、猟銃の購入も予定するなど、出没時の即応態勢を整える動きが出てきている。

 環境省によると、野生動物による被害は急増している。例えば、2005年度のイノシシ捕獲数は全国で6万5153匹と1997年度の約3倍。一方、ハンターは現在約20万人で30年前に比べて半減した。

 ニホンザルによる農作物被害やクマの出没などが相次ぐ富山県魚津市でも、ハンター不足は深刻。市内の猟友会員は70年代の約170人から約40人に激減した。会員の多くは60歳代だ。

 そこで、市は今年6月、「職員ならすぐに出動させられる」と、職員に狩猟免許の取得を呼びかけた。現在、消防署員ら20~50歳代の職員9人が免許取得を目指して勉強中だ。市は今年度、国の補助を受けて散弾銃を購入する計画という。

 特産のユズなどをニホンジカに荒らされている高知県香美市では今年、免許を持つ職員3人による「鳥獣被害対策実施隊」が発足した。1人は昨年、免許を取得したばかり。ハンター不足の事情は同じで、市は「今は農家へ対策を広報する活動が中心だが、将来は隊員による捕獲も考えたい」としている。

 「同様な傾向は、全国で広がるはず」と農林水産省鳥獣被害対策室。岩手大の青井俊樹教授(野生動物管理学)は、自治体が自前のハンターを持つことについて「選択肢の一つとしてあり得るが、放置されている里山の果樹や森林の整備なども重要だ」と話している。

(2008年11月6日  読売新聞)

【転載終わり】----------------------------------------

大津市でも、鳥獣害被害が現出しています。本市でも議論を展開していかなくてはなりませんが、鳥獣害の駆除は、狩猟の経験が大事だと聞いています。資格があるからといって山に入っても、なかなか捕獲できるものではないそうです。狩猟免許を取ったら、猟友会に入会し、狩猟経験を積むことが重要でしょう。

私は、自衛隊経験者ですが、銃を扱うという共通項はあるとはいえ、全く違う射撃術によるものであるということを理解しています。

ですから、一時期「自衛隊に動員をかけて、有害鳥獣をやってもらおうじゃないか。」などという意見も国会議員さんのほうであったようですけれども、実際、狩猟経験のない自衛官にその任務は極めて達成困難でありましょう。

公務員が、有害鳥獣駆除のために資格を取得しても、3年間は狩猟経験を積む必要があるという制度の現状と、狩猟経験を磨かないと実際的に有害鳥獣駆除は難しい、という2つの事実を市民にご理解いただくことが必要ですが、「スポーツクラブ散弾銃乱射事件(長崎県佐世保)」後の、銃に対するイメージの悪化も懸案事項です。

農作物の自給率向上のためには誰かがやらねばならない、重要課題であるという認識を持っていただくために、例えば私なら何をすべきか?

深く、厳しいテーマであります。

2008年11月 6日 (木)

近未来ニッポン

平成20年10月30日に報道された「国民のための経済対策」について、気になる部分があり、何処もあまり書いていない切り口がありますので、さらっと紹介しましょう。

【以下転載開始】--------------------------------------

地方は休日1000円、平日昼3割引き 高速道値下げ

2008年10月30日0時36分

政府・与党は29日、新総合経済対策に盛り込む高速道路値下げの概要をまとめた。大都市圏を除く地方では、全線で平日は最低でも3割引きとし、土、日曜と祝日は、普通車はどんなに長距離を走っても千円(一部区間1500円)にする。千円を下回る場合は現行の金額となる。

2次補正予算成立後に数カ月かけて具体的な制度を検討し、できるだけ早く実施する。2年間の措置で、自動料金収受システム(ETC)を付けた車両が対象だ。

高速道路料金は9月16日から、平日午後10時~午前0時は3割引き、午前0時~4時は5割引きなどとしてきた。今回は、午前0時~4時は5割引きのままとし、これまで割引がなかった残りの時間帯を3割引きとする。

東京湾アクアライン(現行3千円)は終日千円、本四連絡橋(同4100~5450円)も1500円程度にする方針。首都高や阪神高速も700円区間について、休日500円への値下げを検討している。

「休日一律千円」の対象地域など細部は今後詰める。

今回の対策では当初、政府・自民党内などで地方の高速料金を半額にする案が浮上していた。民主党は高速道路を無料化する方針で、国会では激しい議論になりそうだ。

asahi.com

【転載終わり】-----------------------------------------

現金払いのドライバーに『この特別なサービスを受けたかったらETCを購入しましょう』というお誘いです。対象はあくまで普通乗用車で、運輸の大型車両は、この特別なサービスを受けることはできません。

よく、インターネット上でみる分析に「当該財団が官僚の天下り先」というのがあります。そうなのでしょう。

しかし私は、別の部分で「非常に賢いな!」と思いました。

「有料道路自動料金収受システムにおける個人情報の保護に関する指針」

(定義)
第2条 この指針において、次の各号に掲げる用語の定義は、当該各号に定めるところによる。

(1)~(3)略

(4)  個人情報 個人に関する情報であつて、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述又は個人別に付された番号、記号その他の符号により当該個人を識別できるもの(当該情報のみでは識別できないが、他の情報と容易に照合することができ、それにより当該個人を識別できるものを含む。)をいう。
 
(5) 個人情報ファイル 一定の事務の目的を達成するために体系的に構成された個人情報の集合物をいう。
 
(6) 本人 当該個人情報によって識別される個人をいう。

(個人情報の収集)
第3条 ETC実施主体は、ETC業務の目的を達成するために必要な範囲内において個人情報を収集するものとする。

(個人情報の処理に関する外部委託)
第7条 ETC実施主体は、個人情報の処理を外部に委託する場合は、秘密保持等情報の適切な管理に関する事項を契約で定めるものとする。

なるほど、やりますね!って感じです。

宮尾 孝三郎

2008年11月 5日 (水)

慌てず騒がず状況を静観しましょう

米国大統領選挙にバラク・フセイン・オバマ氏が、勝利しました。

わが国の内閣総理大臣が、談話を発表されています。

【以下転載開始】--------------------------------------

オバマ米上院議員の米国大統領当選に対する内閣総理大臣の談話

平成20年11月5日

1 米国大統領選挙において、オバマ上院議員が当選を果たされたことに、心から祝意を表する。

2 世界が、多くの困難な課題に直面している中、米国が、オバマ次期大統領の優れたリーダーシップの下、国際社会と協調しながら、更に前進を遂げていくことを確信している。

3 日米両国は、自由・民主主義、基本的人権の尊重、市場経済の推進といった価値観を共有している。日米同盟は、日本外交の基軸であり、アジア太平洋地域の平和と安定の礎である。私は、オバマ次期大統領と力を合わせ、日米同盟を一層強化し、また、国際経済、テロ、地球環境等の国際社会全体の諸課題の解決に向け、力を尽くしていきたい。

【転載終わり】----------------------------------------

テレビでは、バラク・フセイン・オバマ氏の人種に関する報道が、多く見受けられますが、確かに、これからの彼の大統領としてのリーダーシップを理解する際に有効かもしれませんので、知っておくことは必要でしょう。

お父さんはケニアの方で、白人のアメリカ人のお母さんとの間にハワイで生まれたオバマ氏のミドルネームが“フセイン”であることは、父や祖父がイスラム教徒であったことに由来するそうです。

ケニア人のお父さんとは、離婚の関係で2才でお別れしています。その後お母さんはハワイでインドネシア人と再婚し、オバマ氏を連れてインドネシアに移り住みます。

しかし、この再婚もうまくいかなかったようで、オバマ氏は10歳でアメリカの祖父母に育てられることとなり、その後はアメリカで人生を送り始めました。

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さて、オバマ氏はイラクからの「16カ月以内の米軍戦闘部隊撤退」を選挙公約に掲げられていました。

オバマ氏には、これ以上多国籍軍による武力コントロールはお辞めいただき、ぜひとも話し合いで平和裏に収束を図って頂きたいと思います。

一方、アフガニスタンについては、アルカイダというテロ組織を掃討する目的でアメリカ遠征軍の増派の方針を示しておりますので、わが国は新テロ特措法が承認得られない場合は、ブッシュ政権下とまったく同じ状況に追い込まれる可能性があります。

しかし、時は金融恐慌。果報は寝て待てといいますが、この際、オバマ政権に完全に移行するまで、状況を静観するというのも手です。

アメリカにとって、国際問題と国内問題のどちらがこれからウエートが高くなっていくか、これは予想できます。オバマ氏は、国内問題を優先せざるを得ないでしょう。

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“100年に一度の津波”とは、元FRB議長グリーンスパン氏の発言ですが、私には「アメリカに迫り来る津波」と聞こえました。

いま、わが国にとっての国益を考える際、慌てず騒がず、沈着冷静に推移を見守ることが、まずは肝要かと存じます。

何かが舵を、切り始めました。

宮尾 孝三郎

2008年11月 4日 (火)

文化を感じた1日

私の住む地域の文化祭に伺いました。

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11月2日から4日まで実施されており、本日は平日であるにもかかわらず大変“大入り”でありまして、驚きました。

日々の公民館活動の1年の集大成が発表展示されていましたが、私が最も感心したのがこの“手まり”です。

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“手まり長等”(てまりながら)というサークルが、毎月2回公民館で日本手まりの伝統を習い、制作(初級から上級まで)するという文化活動を行っています。

まりつきは、日本に古くからある(16世紀)子どもたちの遊びでしたが、ゴムのボールが普及しだして(明治中期)、手まりは遊具から工芸品へと変遷していったそうです。

また、工芸品となってからも、当初は古い着物などの織物を解いて再利用していたそうですが、今では化学繊維が普及しており色あせもなく、装飾品として評価されています。

それにしても、複雑な幾何学模様です。模様のデータは数えきれないほど種類があるそうですが、まりが基本の大きさより大きかったり小さかったりする場合は、比率を計算して模様の大きさを決定するそうです。

私の親戚も手まりに凝っていた時代がありまして、その作品を幼い頃から見せていただいておりましたが、自分がこのような緻密な作業ができるかと自問したところ、ムリっぽいです。

さて、2階に上りましたら、大会議室も熱気ムンムン。幼稚園と小学校のPTAの合同コーラスグループが合唱を披露してくれました。

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ステキな笑顔と美声で、会場のお客さんを魅了していました。

1946年11月3日に日本国憲法が公布され、日本国憲法が平和と文化を重視しているということで、1948年公布・施行の祝日法で「文化の日」に定められたそうですが、半世紀以上たった今でもその精神は日本中にくまなく網羅されております。

文化と伝統の継承、心強い地域活動でありました。

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さて、昼からは谷議員に誘われ、お隣の草津市役所に参りました。

由布市議会議員小林華弥子さんが、「由布院のまちづくりと議会改革」というテーマでお話されるとのことで、約2時間ぶっ通しの迫力ある講演を拝聴させて頂きました。

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会場にお集まりの方々は、草津市議会議員さんや市職員のみなさん。(我々大津市議会議員はイレギュラーな参加でした。お世話になりました。)

由布院というところは、ご存知のとおり温泉地でありまして、団体観光向け施設を排し、12部屋ほどの規模の旅館が由布院地域に100ほどあるという、玄人向けな戦略を展開されております。

また、由布岳と朝霧と田園風景が売りのところでありまして、決して安きに流されないその観光手法は好感が持てます。

また、そこに生活する住民が「暮らしやすい」と感じることのできるまちづくりを続けておられまして、その暮らしやすさや暮らしの中で芽生えた知恵やアイディアが観光に還元されるという、決してムリをしない、というところもいいです。

“良いものを良いと言い続けよう”というこの街に住む人々の気概が、今の由布院を支えているということがよく分かりました。

この小林議員、お話は上手ですし、論理がしっかりしておりまして、2時間ホントに引き込まれ続けたのでありました。

また、議会改革の話も相当に面白かったのですが、ここでネタばらしすると、お仕事に影響があるでしょうから、「非常に面白かった」とだけ、皆さんにお伝えしておきましょう。

私は、由布院には思い出があります。日出生台(ひじゅうだい)演習場という相当に大きな演習場で、破れ監的(古い放列観測所)や獅子岩などの風景がどうも異国のような気がして上司に伺うと、明治時代に帝国陸軍が中国(満州)の地形に似ているということからこの地域を接収し、演習を行ったのがこの演習場のはじまりであると教えてくれました。

演習場内には川があるのですが、川の水には放牧牛のおしっこが混ざっていると言われ飲むことはなかったのですが、我々の部隊が展開しているところには日陰がなく、炎天下の演習で自分の水筒がカラになると、飲みたい誘惑に駆られ、気が狂いそうになった記憶が蘇りました。

訓練でもそのような精神状況になることがしょっちゅうありましたが、本当の戦闘となると、肉体の極限疲労はもちろん、それこそありとあらゆる恐怖と不安で、その精神の状況は想像を絶するものなのでしょう。

話が横道にそれましたが、「街の歴史」というと、大概は戦後の高度成長期から以降の話になりがちですが、戦前と戦後は歴史が途絶えることなく連続しており、まちづくりを考える場合でも、その歴史を知るとヒントになることもあるのです。その歴史もまた文化。

文化の日(の前後)、歴史に想いを馳せながら過ごさせて頂きました。

宮尾 孝三郎

2008年11月 3日 (月)

寺社の防犯対策が急がれます

11月3日午前1時ごろから2時ごろの間と思われる時間帯に、私の住む地域の氏神様である早尾神社の拝殿が、焼失してしまいました。

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↑平成19年12月31日、拝殿に提灯を飾りつけたときの様子

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↑そして、焼失してしまった拝殿(本日9時20分に撮影)

文化の日である本日、まさかこんな残念な日になるとは、夢にも思いませんでした。

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↑午前9時25分現場検証開始

私の住む地域には歴史ある建造物が数多くあります。寺社は、夜、人気(ひとけ)のない空間になることが懸念され、以前から賽銭泥棒が頻発しており、過去には、この神社の南2kmのほかの神社の自動販売機が燃やされたり、今年の5月には、この神社の南1.3kmにある寺院の境内で若い女性が殺害された状態で発見されるなど、ここのところ寺社での不穏な状況が続いています。

防犯というカテゴリーでみた場合、大規模商業施設やコンビニエンスストア、教育施設や公園そしてマンションなどに関する指針などが整備され、それなりの防犯対策が考慮されていますが、寺社は盲点であります。

対策が促進されるよう、条例の整備等が必要であると感じています。

ちなみに、私が所属するNPO法人西大津防犯では、まさにその趣旨で“「なくそう犯罪」滋賀安全なまちづくり条例の一部を改正する条例案要綱に対する意見の募集について”に意見をお伝えしたばかりのタイミングでありました。

宮尾 孝三郎

2008年11月 2日 (日)

参加したくないパーティー

もうすぐ、アメリカ合衆国の新大統領が選挙されます。そして、新しい陣営で、同盟国協調主義を目指し、この8年間の一国行動主義とは決別することが予想されます。

そのとき日本という同盟国は、どのような役割を担うべきと、米国は考えているのでしょうか?

日本は、麻生総理大臣の国連での演説にもあるように、人間の安全保障を行うことにより、国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思っているのです。

しかし、アメリカの考える同盟国の役割とは、一国行動主義によって引き起こされた「アフガニスタンにおけるテロとの闘い」というパーティーに参加しなくてはならないというものです。

パーティの招待状を送付し、参加する資格を与えているのに、そして玄関まで呼びに行っているのに、居留守を使っている日本の何処が友達なのか?というたとえ話をすると、アメリカの今の心情が理解いただけるでしょうか?

しかし、「わが国がそのパーティーに出席すると、お父さんやお母さん(憲法・国会・国民)に怒られること間違いないので、『今までどおり、ピザやビール(燃料や水の補給支援)の配達係でいさせて欲しい。これなら、パーティーに参加していたわけではない。私はあくまでデリバリーをした配達員に過ぎないのだ!』と、歴史を振り返ったときに釈明可能だから・・・」

日本は、アメリカ外交筋から、『コミット外交(提案に終始し、その実現は他国に託すといった外交姿勢)を改めて欲しい。』と注文をつけられています。しかし、日本は上記で指摘したように、パーティーに正式には参加したくないのです。その招待状は確かに受け取ったけれど憲法・国会・国民がそれを許さないのです。

いやいやパーティーに参加しても、友情は深まりませんし・・・

さて、どうすべきか?

私は、そろそろ国民が今起こっている国際情勢を、現状認識ぐらいしていただかないといけないのではないかと思い、できるだけわかりやすく解説させていただいたつもりです。

このようなたとえで、ご理解いただけるようでしたら、何処ででも引用いただいて結構です。

宮尾 孝三郎

2008年11月 1日 (土)

「日本は良い国に向かっているのだろうか」

昨日は、航空幕僚長の論文について、報道が先行し、論文そのものを読むことがなかったので、抽象的な表現で終始しましたが、本日その内容を発表されているAPAグループのサイトを見つけました。

そして、このように公表されていることから、その論文をひとりでも多くの方に見て頂きたいと言う気持ちで、私のブログでも紹介させて頂きたいと思います。

【以下転載開始】--------------------------------------

日本は侵略国家であったのか

田母神俊雄

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。

我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。

日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。
これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。
これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。
もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。

また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。
一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

時間は遡るが、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫られ1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2,600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。
中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の廬溝橋事件の時でさえ5,600名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。

日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。

私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

【転載終わり】----------------------------------------

この論文は、読み手の知識や理解度によって、評価が分かれることはありうるでしょう。

あなたは、この論文をお読みになって、マスコミの取り上げ方や、政府の対応をどう感じられたでしょうか?

宮尾 孝三郎

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