« 遊び心な生き方! | トップページ | 行政視察の予習 »

2008年10月20日 (月)

歴史のダイナミズムの中の大津

本市は、平成21年4月から、中核市となります。(現在は“特例市”)

まずは、特例市である現在と、中核市の条件比較をして見ましょう。

○ 人口規模

 特例市→20万人以上

 中核市→30万人以上

○ 処理することとなる主な事務は、

 特例市(全国に43市)

  • 環境行政に関する事務
  • 都市計画・建設行政に関する事務
  • 産業・経済行政に関する事務など

 中核市(全国に39市)

  • 保健所が処理する事務(保健所を設置することになるため)
  • 民生行政に関する事務
  • 都市計画等に関する事務
  • 環境保全行政に関する事務など

中核市とは、政令指定都市以外の都市で規模能力(人口)が比較的大きな都市について、その事務権限を強化し、できる限り住民の身近で行政を行うことができるようにしたものです。

今の大津市しか知らない私たち若い世代は、大津市が中核市になることにどのような思いをはせるのでありましょうか。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

かつて、琵琶湖を支配する経済都市であり、交通の要衝でもあった大津。

明治新政府最初の直轄地のひとつとされ、陸軍歩兵第9連隊が明治8年には駐屯を開始するなど、中央政府は、大津を重要拠点としてみていたことが分かります。

明治24年、政府は明治になって初めて外国の皇族を国賓として迎えました。帝政ロシアのニコライ皇太子です。当時は、明治憲法発布から1年という、国際社会に認められる国家形態をとったばかりの頃です。(トルコのオスマン帝国憲法についでアジアでは2番目の近代憲法です。)

そして、大津遊覧にニコライ皇太子ご一行が訪れたのも、日本における大津の重要性を十分認識させるものでしたが、実はシベリア鉄道の建設を東方進出の足固めとしていたロシアの視察旅行であったのではないかという見方があります。

そして、東方進出の企図を察知したのか否かは謎のままですが、大津事件が発生します。

その後、ロシアの東方進出は日露戦争によって暴露するわけですが、明治38年には、大津の園城寺など26箇所に、ロシア兵の俘虜(捕虜)収容所が開設されました。当時、この地に1,500人ものロシア兵捕虜がいたと伝えられています。また、皇子が丘公園の一角に現存する陸軍墓地に当時のロシア兵捕虜のお墓がひとつ確認できます。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

歴史のダイナミズムに圧倒されるばかりですが、そんな歴史の地“大津”が、栄枯盛衰をこの140年ほどの短い期間に繰り返してきたのです。

このたびの“中核市への移行”が、再び大津の繁栄を再構築するものとなるか否かは、首長そして執行部のビジョンにかかっています。

そして、市民と我々市民の代表である市議会議員が、いかに善導するか。

いよいよ、大仕事の始まりです。

宮尾 孝三郎

« 遊び心な生き方! | トップページ | 行政視察の予習 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 遊び心な生き方! | トップページ | 行政視察の予習 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ