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2008年9月12日 (金)

「テロとの闘い」とは?

日本が「テロとの闘い」に参加していることについて、日々考えています。

みなさん、「テロとの闘い」って意味がわかりますか?

まず、第2次世界大戦みたいな大規模な戦争のことを「高強度紛争」といいます。これは、近年になって核保有国が増えてきたことから、このような戦争をすると地球が滅びると考えられていますので、どの国も自制しています。

次に、いまグルジアとロシアで戦われているような局地的な戦争を「中強度紛争」といいます。これは、現在も世界の何箇所かで行われている紛争の形態です。

そして、2001年9月11日にオサマ・ビンラディン率いるアルカイーダによってアメリカのシンボル的な何箇所かが攻撃されたという「9.11」以降、地球的規模でその危険性がうたわれ始めた「テロリスト」との戦い、紛争の強度で表すと「低強度紛争」となりますが、テロが戦争かどうかはいまだに意見の分かれるところです。

というのも、戦争とは国家と国家の武力衝突をいうのであって、国家対武装有志との戦いが果たして戦争といえるのかという部分において「低強度・中強度・高強度紛争」と紛争形態のカテゴライズを採用しドクトリンに反映させているアメリカは、「テロとの闘い」を戦争の一形態と解釈しています。

しかし、わが国がテロを戦争と定義したかどうかは定かでありません。

北朝鮮が、わが国の人々を拉致したという事象は「戦争」ではなく「犯罪」と認識していますが、拉致したのは「北朝鮮軍の特殊工作員」であることは明らかです。

また、日本海において不審船騒ぎがあったときに、北朝鮮の工作船は「RPG-7」という対戦車ロケット弾をわが国の海上保安庁巡視船に発射し、「カラシニコフ」というロシアで開発された自動小銃を発砲するなど、軍事兵器による攻撃です。

しかし、北朝鮮という国家による「拉致」も、武装工作船との銃撃戦もあくまで警察・海上保安庁という公安マターであり、本来は国家を侵害された日本はこれを「紛争(=戦争)」と位置づけ毅然たる対処を行うべきであったはずです。

この2つの事件を「戦争」と認識していないということは、誰の眼にも明らかですし、わが国の「戦争」と「テロ」と「犯罪」の認識はあいまいであることから、「テロとの闘い」もわが国の法律でなにが「テロ」と言い切れるのかという疑問があります。

つまり、いま私が認識しているのは日本においては「テロ」=「事件」であり「紛争」ではないということ・・・

また、オウムの地下鉄サリン事件は「化学テロ」と認識されていますが、戦争ではなく警察による捜査でありました。オウムは日本国家に挑戦していたのであり、冒頭の「テロとの闘い」の定義によると「低強度紛争」でなければなりません。

「テロとの闘い」という勇気あるスローガンの下、日本国自衛隊をインド洋に派遣できるのであれば、北朝鮮の拉致被害者も自衛隊によって救助可能でしょうし、日本領海に入ってきた不審船といわれる武装工作船は自衛隊により撃破できたでしょうし、オウム真理教のサリン事件の、日本国家を挑発したその行為は自衛隊によって殲滅できたでありましょう。

しかし、そのようなことは、わが国の世論が許すはずがありません。

インド洋における「テロとの闘い」は、わが国の世論よりも優先する軍事先進国によって要請されたものであり、ここに日本の憂うべく実態があるように思います。

宮尾 孝三郎

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